Yutaka Kashiwagi Blog

それは、とっても短すぎた、

たった3年半しか知らない、

でも一生忘れられない、

私の人生のとっても大切な、

幻の様な人でした。

 

※少し長いブログです、お時間がある時に読んでください。

 

「僕、こう見えても、ワインの事なんか、全然わからないんですよ!」

微笑みながら、そっと手を上げ、ウェイターを呼んだ。

「今日は大切な後輩との食事なので、

あなたが一番美味しいと思うワインを持って来て!」と・・・

子供のようなその紳士。

緊張のあまり、普段猫背の私の背骨が真っ直ぐなのを察したかのように、

その場の雰囲気を、一気にやわらかく変えてくれた。

私は瞬間に、そのギョロっとした、

そのやさしい目のその人の魅力に吸い込まれて行った。

目の前で一緒に食事をさせていただいているその人は、

その当時『フレンチ・ヴォーグ』のヘア・メイクに

日本人として初めて起用された、

私が食事などさせていただくことすらおこがましい大先輩。

雲の上の、また上の人。

結局、その人にはもう絶対に届かないが・・・・

おそらく30歳以下の美容師の方々には、

その名前さえすらも耳にした事はないでしょう。

当時は、今のカリスマ美容師などと言われる人達とは、

比べる事すら失礼に値するでしょう。

ある意味、虚像と実像が一致し、

真のビューティーの為に生きている方々が存在しました。

四天王と呼ばれた、

「須賀勇介さん」「宮崎定夫さん」「伊藤五郎さん」「田中 親さん」

 

当時、私が勤務していたサロンのオーナーの所に何故か?

(自分でサロンを持っているのに)

髪を切りに来ていたその方は、

もちろん私が担当の美容師ではないので、

あいさつ程度しかお話出来なかったが、

そのサロンにしばらく勤務したある日、

私は恐れ多くもその方に「海外の仕事って、大変ですよねー!

僕も一度でいいので海外で働きたいんですよね!」

なんて軽いノリで話したところ、

「聞きたい事があったら、いつでも電話しなさい」

と電話番号を書いた名刺を渡された。

あまりにも軽いノリのやり取りに、思わずその後、

またまた私は軽いノリで電話してしまった。

勿論、そんな簡単にスケジュールの空きがあるはずもなく、

「都合がいい日が出来たら、また連絡しますよ!」と、

予想道りの答えが返ってきた。

 

そのわずか数日後、

「明日仕事が早く終わりそうだから、会えますか?」・・・・そして

私とその方は初めて同じテーブルで向かい合って話すことが実現した。

その日はそれから5、6時間ほど、3軒をはしごし、話をした。

いや、話を聞いてもらった。

その夜の最後に、

「私も、あなたみたいに純粋で、前しか見えない頃に戻りたいなー」と

おっしゃっていたのを覚えている。

「まっ、海外に行くなら、がんばりなさい!出来る限り応援するよ!」

その夜はそれで別れた。

 

そして、またまた数日後、

「僕の友人の須賀勇介くんの 、お弟子さんのNYのサロンを紹介するから、

連絡取ってみれば!」と、またまた突然!そして、NY??須賀勇介!?

話の内容が、ぶっ飛んでて、着いてゆくのが精一杯だった・・・。

 

そして半年後、私はNYに旅立った。

 

NY生活も半年が過ぎた頃に、

パリから1通のエアメールがNYのサロンの私宛に届いた。

達筆なその手紙は、な・ん・と・・・和紙!!  

かっこよすぎです!お洒落すぎます!

「元気ですか?頑張ってますか?・・・・負けずに頑張りなさい!」

その頃、英語とカルチャーショックに苦しんでいた私は、

サロンのトイレで大泣きしてしまった。

 

それからまた半年したある日、NYのサロンのオーナーに呼ばれた。

彼の顔は強ばり、眼にはうっすら涙が浮かんでいた。

そして彼の口からこぼれて出た言葉は・・・

 

事故死・・・

 

理解に苦しんだ。夢を見ているかのようだった。

その方と出会ってから3年半、その間の全てが幻のように思えた。

 

【田中 親さん】

『あんなに子供のような、あんなに無邪気な、気品があって、

かっこ良くて、紳士で・・・・

私はあなたの仕事を目の前で見たことがありません。

たった3年半の間で、私の人生を変えたヘアデザイナー。

あなたのビューティーを見てみたかった。』

 

その後、日本に帰国し青山のサロンに勤務した。

そこのオーナーと初めて話をした時の事。

「君はNYに居たと聞いてるけど、どうやってNYに行ったの?

ビザとか、サロン探しとか大変だったのでは?」と聞かれ、

「実は、田中 親さんと言う方に紹介をしていただき、

ラッキーにもちゃんと仕事をする事が出来ました・・・・」と答えた。

 

するとそのオーナーは・・・

「田中さんか・・・、僕は昔田中さんのサロンで仕事していたんだよ。」

 

こんなことって、偶然? ではないと、その時感じた。

 

知らず知らず、色々な方々に助けられ、導かれ、今の自分がある。

「謙虚な気持ちと、感謝の気持ち。忘れちゃいけないよ!」

今でも天国で、まだまだ教えていただいている様な気がします。

どんな出会いも、どんなめぐり合いも、大切にしなくてはいけないと、

この時から今まで、ずっと心に刻み込んでいます。

 

「いつか、無理かもしれないけど、追いついて見せますね!

そしたら、今度は僕がワインごちそうしますね!」

 

田中さんの担当していた有名人を、

自ら巨匠カメラマンの立木ヨシヒロ氏に手ほどきを受けたカメラで

プライベート・スナップにし貯めたものを写真集にした

『ミーハレーション』は当時大変な話題でした。




私の人生の、大切な宝物です。